鈴鹿8時間耐久レース 2011
今年も暑い熱い、8耐が終わった。
リーマンショック、東日本大震災、そして記録的な円高。
世界に、そして日本に降りかかる数々の試練。
原子力発電所事故の影響で、次々と運転停止して再稼動できない原発が増えていき、
電力が足りない国になってしまった状況下、節電協力という理由で開始を2時間早めてスタートを切った。
この8耐にも、カワサキ、スズキを中心に多くのユーザーの方々に「JBマグタン」を使っていただいている。ホンダ、ヤマハ、BMW、アプリリア、ドカティと合計7メーカーと多くのチームに、「JBマグタン」が支持されている事実は、限りない喜びと共に責任を感じる。
レースはポールポジションを獲得したヨシムラスズキチームのリードで始まった。
もちろんJBマグタンユーザーで、JB4 F3.50 R6.25‐16.5を使用。
中盤はF.C.C. TSRホンダと武蔵ハルクホンダの3車が入れ替わり、三つ巴のトップ争いを展開したが、後盤には、ヨシムラスズキとTSRホンダの戦いになり、3名のトップライダーを集めたF.C.C. TSRホンダが優勝し、ヨシムラスズキが2位、武蔵ハルクホンダが3位入賞を果たした。
因みに私は、今回の8耐の応援を頼まれた、チームトラスBMWS1000RRと言う
長い名前のチームのピットで応援させていただいた。ディーラーのメカニックや応援隊などに
よって構成された、にわか作りのプライベートチームにもかかわらず、これが大したチームで、
なんと15位に入賞してしまった。しかも色々トラブルもあったが、エンジンもマップもSTDの
ままでと言うから正に脅威である。
隣のピットのフランスBMW耐久チームは4位入賞となった。もちろん過去にBMWが鈴鹿8耐で
こんな好成績を残した事は無く、これもまた快挙であった。
1982年を最後に、自身でのレース活動を封印して、モノ創りに専念し今日までやってきた。
ところが、この度は、なし崩し的にレースに引き込まれた格好ではあるが、参戦してみるとやっぱり面白い。
眠っていた闘争心にまた火がついた。
それなりの工作機類もそろった。モノ造りが出来る人材も育って来た。
後は軍資金とレースを運営するスタッフを集めれば…ウーン、何とかなるかも知れないなどと考え始めた。
日本車の独断場であった、ツインカム4バルブ並列4気筒チェーン駆動と、
同じコンセプトのエンジンで殴りこみをかけてきたドイツの老舗メーカーの造る
S1000RRの真価を見極めてみたくなった。
2011年8月6日 7:29 PM │ カテゴリー:美藤定のひとり言Blog